【お知らせ】うつのひかりは、毎週日曜日に更新する予定ですが、現在本業が忙しく、更新できていません。楽しみに更新を待っている方には、もうしばらく兄やんの作業が片付くまでお待ち下さい。

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2005年02月18日

1.「うつ病」との出会い

某飲食店で店長として働いていた兄やんが、いつものように働いていると、高校時代の友人が店にやってきた。

彼女は、バイト先がすぐ近くだったので、何度か兄やんが働く店にも来てくれていた。 彼女とは、高校時代に音楽系のクラブで一緒だったこともあり、一緒にバンドをやったこともあった。

彼女は、割と明るい性格で、すぐに誰とでも仲良くなれるような感じの子だった。



しかし、その日の彼女は何だか様子がいつもと違った。たまたま客がいなくなり、兄やんと彼女が2人きりになった時に、彼女は元気なくこう言った。

「私、うつ病になってん・・・。」

兄やんは、健康に関しては結構気を使う方だったが、「うつ病」というのが、どういう病気なのか分からなかったため、何て言ってあげればいいかが分からなかった。

しかし今思うと、この時の彼女が兄やんに「自分がうつ病だ」ということを告白したということは、何か聞いて欲しい、力になって欲しいと思ってのことであって、それなりの勇気も必要だったんだと思う。

しかし、当時の兄やんには、うつ病に対する知識もなければ、兄やん自身がうつ病予備軍という状態にあったため(そのこと自体この時はまだ気づいていなかった。)、力になってあげることができなかった。

とりあえず、何か声をかけたんだろうけど、何て言ってあげたかは覚えていない。覚えているのは、うつ病って何?と思いながら、いつもと様子の違う彼女にショックを受けていたことだけだった。

そしてその日、仕事が終わり、朝方家に帰ってから、『うつ病』についてネットで調べ始めた。それまでの兄やんは、何でもかんでも気合いでことを済ませてきていたせいもあって、『うつ病』という病気が理解できなかった。

しかし、彼女がそんな嘘をつくとは思えなかったし、そのネットに書いてあったような症状が彼女にも見受けられたので、こういう病気もあるんだ、ということを認識せざるを得なかった。そして、あるサイトのコンテンツにうつ病チェックというものがあったので、一応やってみた。

すると、驚いたことに兄やんの結果は、用意された結果の中で2番目に悪く、最後の方に、一度専門機関で見てもらうように、というようなことが書かれていた。それから、同じサイトにストレスチェックというものがあったので、それをやってみると、今度は一番悪い結果になってしまった。

それなのにも関わらず、当時の兄やんは、

「オレは精神的にタフだから大丈夫だ」

と、考えてしまい、自分の心が悲鳴を上げていることを認識していたハズにも関わらず、そのまましばらく仕事を続けた。

2005年02月17日

2.うつ病の自覚

あれから1ヶ月近く経った。

体重が5kgほど落ち、なかなか睡眠がとれず、目は疲れ、充血し、今まで無縁だった頭痛や肩こりに悩まされ、常に体がだるい状態になり、1食で牛丼を3杯食べるくらいあった食欲がなくなってきていた。

そして、それまで毎日のように好んで飲んでいた酒も、おいしく感じなくなってしまったので飲むのをやめ、体調がずっと悪くなる一方だったので、3週間ほど飲むのを控えていたのに、一向に良くなりそうな兆しもなかった。



「コレはおかしい!」

起きているほとんどの時間、気合いを使い続けていてたので、さすがにきつくなってきていた。

もちろん栄養ドリンクも結構高いのを飲んだり、薬局などで複数の薬を処方し続けていたが、どの症状も快方に向かうことはなく、悪くなる一方だった。

「もしかしたらうつ病じゃないのか?」

という、弱気なもう一人の兄やんの声とも日々戦っていたが、だんだんと強気な兄やんが押されつつあった。仕事が終わり、家に帰ってもあんまり眠れないので、ネットでうつ病について、前よりも詳しく調べるようになった。

すると、認めたくはないけど、見事にうつ病の症状と重なっていくのが分かった。そして、恐る恐る、もう一度うつ病チェックをしてみると、前より悪くなり、一番悪い結果になってしまっていた。

さすがにもうその時には、自分はうつ病だということを認め始めていた。
いや、認めざるを得ない状況にあった。

しかも、

「こんなにしんどいんだから、結構重症じゃないのか?」

「もしかしたらうつ病以外の、もっとひどい病気だったりするんじゃないのか?」

などと、だんだん弱気にさえなってきていた。



そして、もう耐えられなくなってきたので、近くに心療内科や精神科がないか探し始めるようにもなった。意外と心療内科も精神科も近所にあったので、逆にどこに行こうか、数日迷った。

普段ならすぐに決めて行っているハズなのに、うつ病になっているため、決断力が鈍っていたのだろう。

しかし、どんどん症状が悪くなっていくので、最終的にはどこでもいいから早く診てもらおう、と藁をもすがるような精神状況に追い込まれていた。とはいえ、さすがに『精神科』という響きが、自分の中でどうしても抵抗があったため、店の近くにあった心療内科に行くことにした。

しかし、その病院(クリニック)は、心療内科がメインではなく、内科がメインのところみたいなところだったので、来院した理由を受付で言葉にして言うのが、嫌で躊躇した。

うつ病から開放されたいと思ってきたハズだったが、まだ自分の中で『うつ病』というものに対する偏見や、誤解があったように思う。



そもそもうつ病に対して、偏見を持っていたので、この時のこのクリニックのあまりにも無神経で、乱雑な扱いがとても耐え難かった。そして、1時間ほど待たされたあと(待っている間かなり不安な思いをした)、自分の番がきた。

他の患者とは別の部屋に通され、ネットでやったようなうつ病チェックと同じ質問もいくつかされたり、今の仕事の話をした。すると、軽症うつ病と診断され、

「結論から言えば、今の仕事を辞めるのが一番良い」

と言われた。

確かに今の仕事を辞めた方が良い、っていうのはその通りだと思ってが、そう簡単に言い出せるような相手(オーナー)ではなかったため、複雑な思いだった。それよりも、兄やんはこんなにも苦しんでいるのに、この状態のどこが「軽症」なのかが、どうも納得できなかった。

しかし、当時の兄やんにはどうすることもできず、そのまま仕事も続け、その日もらった薬を飲み続けることくらいしかできなかった。

2005年02月16日

3.精神科に行く

あれから、追い討ちをかけるように忙しい日々が続き、年末には、一人で店を営業したあと、残業を5時間ほどしなければいけなかったり、自転車の鍵が壊れ、家までの道のりを歩いて(2時間ほど)自転車を担ぎながら帰ることもあった。

年始には、虫歯なのか歯がうずき、2日寝ることができなかったりと、さんざんな日々を過ごした。

最初に行った病院の薬を飲みはしてみたものの、症状は一向に良くならなかったため、今度は内科メインのような病院ではなく、神経内科などもやっている精神科医に行くことにした。



精神科に対する偏見などはまだあったものの、精神科の方が良い、というのをネットに書いてあるのを見たので、ようやく行く決心をした。しかし、最初行った日は、昼からは予約した人のみの診療だったため、そのまま帰ることになった。

日を改めて、朝からがんばって起き、(うつ病の人間が決められた時間に起きるのは非常につらい)診療を受けに行った。 そこは、兄やんがイメージいたような暗〜い感じではなく、普通の病院の待合室と大して変わらなかった。

そして、問診の前に相談員の方との面談があった。そこで、心療内科に行ったことやらいろいろと聞かれ、相談員の方はそれをメモしていた。それが終わってしばらくすると、兄やんの名前が呼ばれた。

緊張するだけの気持ちの余裕もなく、その医者の問診が始まった。



「一人で来たん?」

と驚きの表情でその医者は言った。

兄やんは、

(そんな簡単に相談できへん病気からひとりで来たんやんけ!!)

と思いながら、力なく

「はい」

とだけ答えた。

そして先ほど、相談員の方がとったメモなどを見ながら問診は進み、その診断結果は

「うつ病ではなくて、睡眠スケジュール障害だよ」

と言われた。

(はぁ?睡眠スケジュール障害て何やねん)

て思っていると、その医者が説明してくれた。

「君の仕事は、深夜まで働き、朝方帰ってくるような仕事のため、その睡眠リズムが君には合わないため、不眠症になっている。また、その店のオーナーが嫌だから、それでストレスがたまっているだけ。」

そういう説明だったが、もちろん納得はできなかった。

また、その医者は、

「今が一番しんどい時期だから、それを乗り越えたら大丈夫。まあ、その仕事をずっとやって行こう、という気がないんなら辞めたらいいけど、どこでも最初はそうやってしんどいもんだよ」

と、まさかの根性論をつきつけてきた。



基本的に根性論だった兄やんが、こんな風になってしまったから心療内科にも行き、それでも良くならないからこうやって精神科まで来ているのに、こんな根性論で片付けられたのには、さすがに腹が立った。

今考えてもこの精神科医については、ぶっ飛ばしてやりたいくらい腸が煮えくり返る思いだが、日本のうつ病などの心の病に対する取り組みの無さが顕著に出た結果とも言える。

そして、一応薬はもらい、その薬を飲んでいたが、案の定良くなる兆しは見られなかった。
その間、友人などに会う度に

「やつれたなー」

などと言われ、またある人からは、

「そんなになってまでそこで働くのは、無意味だよ。事情を説明して今すぐに辞めるべき」

という言葉を頂いたが、相手であるオーナーが、あの精神科の医者のよりも根性論の強い人間だったのと、その当時、うつ病によって心身共に弱りきっていたので、そう簡単に言い出すことはできなかった。

そして、その精神科でもらった薬がなくなりかけたので、今度は、同じ病院の別の医者のいる日に行ってみることにした。しかし、カルテはそのまま使われているため、その時もうつ病の扱いはされないで、「不眠症」扱いだった。

それでも、前の医者よりも理解のある先生で、方針を変えてくれたのが唯一の救いだった。その日は、また別の薬をもらって帰ることになった。



当時兄やんには、正月休みがなかった変わりに、その3週間後くらいに、3,4日休みをもらった。3人中2人には「うつ病ではない」と診断されていたため、(もしかしたらうつ病ではないのかも)と思う部分もあり、(いい気分転換にでもなれば)と思い、心身にムチを打ち、弟と九州に旅行に行った。

本来なら、旅行は一人で行く兄やんなのだが、当時はそんな余裕がなかったので、弟についてきてもらった。

そして、向こうに着いて、久々に酒を飲んだのだが、そんなに飲んでいないのにも関わらず、体がアルコールを受け付けなくなってしまった。翌日、もう一度酒に挑戦しようと、缶チューハイを買い、電車で移動中に飲んでいたのだが、この時に決定的なことが起こってしまった。

まだ1本目で酔ってもいないのに、手から缶がすり抜けてしまい、車内でぶちまけてしまった。その前後にも、階段で足を踏み外したりと、感覚がおかしい状態がずっと続いてしまった。

弟の手前、兄やんもそんな自分の状態に気づかれないように配慮してたのだが、缶チューハイをぶちまけた時は、かなり惨めな思いをした。

それから、九州のいとこの家に立ち寄り、飯を食いに連れて行ってもらったのだが、好物の魚や酒を勧められたのだが、相変わらず食欲もなく、酒もほとんど飲めなかったので、せっかくよくしてくれているいとこと伯父と伯母に、何だか申し訳ない気分になった。

そして、気分転換のハズの旅も、気分転換どころかますます落ち込んだまま終わり、また仕事をする生活に戻っていった。

2005年02月15日

4.倒れる直前

旅行中にお金があんまりないことに気付いた。そらそうだろう。

当初、

「ウチは給料は歩合制だから、売り上げ次第では30万くらいスグ稼げるようになる」

と言っておきながら、実際は完全に歩合というわけでもなく、メイン商品の売り上げの1割くらいしかもらえず、明らかに搾取されていた。実際の給料は、総支給額が10万か11万くらいで、税金や社会保障的なものは一切なしで、そういったことに関して説明すらされなかった。



しかも、仕事が終わるのが朝方なのにも関わらず、気分次第で休みもコロコロ変えられてしまうので、予定なんかも組むことができず、友達と遊ぶこともできなくなった。

一応、予定があれば先に言っておけば休みはとれたのだが、休みが友達と合わないし、時間的にも昼夜逆転しているので、予定を入れることはできなかった。仮に、休みがあったりしても、予定を入れるだけの余裕もなく、ただただ言われるがままに仕事をするロボットのような生活になっていた。

そして、少しでも休みたい貴重な休みの日に、毎月の保険料や税金を払いにいくことになった。

また、体調がすぐれないため、薬局などでいろんな薬を買うのに、月3万くらいかかっていたのと、毎月3万、社会人だということで、家にも金を入れていた。それプラスまかない(とはいっても、半分は払う)代などで、給料はとんでしまい、貯金や自由に使えるだけの余裕もなかった。

さらに、兄やんが仕事を終えて帰ってくるのは朝方で、家族が寝ている中に帰ってくることになってしまっていたので、それも迷惑なことをしている、と思っていたので、(早く家を出て一人暮らしをしよう)と思っていたのに、それだけのお金もなかった。

仕事内容に関しても、当初は

「いろいろ話し合って決めていこう」

ということで、

「いろいろとその独創的なアイデアを出してくれよな」

と言われていたので、最初の頃はいろいろとアイデアを出したり、意見を言ったりしていたのだが、結局はオーナーの独裁で、違う意見を言うと、兄やんがオーナーの意見に納得したフリをするまで延々と話が続く、という状態だった。

それでも、最初の方は意見を言い続けていたのだが、そのせいで別の店の人を待たせることにもなっていたので、申し訳なく思って折れたり、だんだん自分の体調がおかしくなるに連れ、もうどうでもよくなり、ただ言われるがままやるようになっていた。

お金がないことに気付き、その原因を探り始めることでだんだんと腹が立ってきた。

「もう辞めてやる」

と心の中では、そう思っていたのだが、なかなか言い出すタイミングがないまま日が過ぎていった。

それでも、病院に行ってることや、体調が悪いことを訴えたりはしていたのだが、

「自分自身の体調管理がなっていない」

ということで片付けられた。



「もう、こうなったら実力行使しかない」

そう思った兄やんは、倒れるまでやってやろう、と決意した。

とはいっても、相変わらずまともに眠れず、頭痛や肩こり、めまい、腰痛、胃痛、下痢、吐き気、耳鳴り、たちくらみなど、だんだんひどくなり、食欲、意欲がなくなり、からだが常にだるく、日に日に服用する薬が増えていき、どう考えても普通は休むべき状況だった。

しかし、直接言うこともできず、遠まわしに言っても感づいてもらえないので、実力行使をすることでしか辞めることはできないだろうと、判断し、倒れれば辞められる、ということだけを心の頼りにして、文字通り、気力のみで動いているような状態だった。

病院でもらった薬のほかに、市販の精神安定の薬、下痢止め薬、胃薬、胃腸薬、強力な栄養ドリンク、オールP、頓服、頭痛薬・・・。その数は10種類以上にまで増えてしまっていた。

いくら市販の薬の副作用が少ないとはいえ、これだけ飲めば危険な気がしないだろうか?しかし、当時の兄やんにはそんなことを考えるような余裕もなく、ただ、なんとかその日1日仕事ができるように飲み続けた。

そんなことを繰り返しているうちに運命の日はやってきた。

2005年02月14日

5.兄やんチカラツキル

今日が終われば、明日は休み、その日はそんな日だった。実は、前の日に家を出る前に、猛烈な下痢に襲われて、1時間ほど遅刻していた。その頃には10分や20分の遅刻は当たり前になっていて、店に到着し、後は待つだけの状態にした後も、開店までトイレに篭るほど調子も悪い日が続いていた。

家を出る前に、下痢になるのは、最近では当たり前になってはいたが、その日は、特にひどかったため、やむなくそういう措置をとることになった。

そしてその日もまた、行く前に下痢に襲われた後に、薬を数種類飲み、栄養ドリンクを買って店に着いた。

いつもなら、着いてすぐ1本飲んで、オールPを飲み、途中でもう1本飲むところだったが、その日は1本飲んで、それ以上は水さえも飲む気にはなれなかった。

ここ最近は、飯も食わずに薬ばかりを飲み、家を出て、店にきてからまかないを少しだけ食べるようにしていたが、もちろんその日はまかないも食べられるような状態ではなかった。

店を開けてスグ、親が食べにきて、新たな栄養ドリンクの差し入れがあったが、もちろん手をつけられるような状態ではなかった。その日は、一人で営業する日だったのと、今日終われば明日は休みということで、気分的にはマシだったのだが、長いこと来ている常連さんが店にやってきた。

その常連さんは、オーナーとも個人的に交流があるため、オーナーが来ないことを知ると、電話をかけて呼び出し始めた。

「もう、勘弁してくれ・・・」

そう思ったが、もう時すでに遅し、といった感じだった。これでしばらく、気が抜けなくなってしまった。それからオーナーが来るまでの間、気を張り詰めた状態で動き続けていて、座ることができなかったので、立ちくらみがする度に、何かを拾うフリをしながら自分の状態を誤魔化した。

そして、1時間近くして、ようやくオーナーがきて、そこからしばらく居座り続けていた。その間も、立ちくらみを誤魔化し続けたり、吐き気を抑えるために、しきりに水を飲んでいたりしていた。

もうどれくらいの時間がたったか分からないくらいになってから、ようやく帰る準備をし始めた。

「何とか持ちこたえた・・・」

と、精算に入ると、別の常連客が入ってきた。
何かを思う間もなく、次の瞬間、一瞬気を失った。



ハっと気がつくと、

「顔真っ青やないか、大丈夫か?」

とオーナーが駆けつけてきた。
まだ頭がボーっとしていたが、急に吐き気と下痢気味の便意をもよおしたため、

「ちょっとトイレに・・・」

と言って、トイレに駆け込み、フタをした状態の便座に座り、また少しの間気を失った。

どのくらいその状態だったのか、気がつくとオーナーがトイレに近づいてきて、兄やんを呼びかけていた。

とりあえず、

「・・・大丈夫です・・・。」

とだけ返事をして、精一杯元気そうなフリをしてトイレから出てきたのだが、逆にそれが痛々しく映ったようで、しばらくオーナーの車で休ませてもらうことになった。

今回は、気を失うというか、眠ると気を失うの間くらいの感覚で、そのまま休んでいた。

客がひいたのか、しばらくしてから起こされて、店の中に呼ばれ、とりあえずまかないを食え、ということでオーナーがまかないを作ってくれた。その時には、

「これで辞められる」

というような感情もなく、

「今、食えるような状態じゃないのに・・・」

という思いでいっぱいいっぱいだった。

でも、オーナーは休みの日に急に出てきて急に仕事をするハメになってしまい、そんな中、兄やんを心配して、元気付けようと作ってくれたまかないだったので、拒否するわけにもいかず、なんとか1杯分は食べようと努力した。

この辺りから記憶があやふやで、ちゃんとたべきったのか?もう1杯食べたのか覚えていない。気がつくと、またオーナーの車で休んでいて、営業時間が終わっていたので、片付けを少し手伝い、家まで送ってもらった。

2005年02月13日

6.ガス欠状態

店で倒れてから2ヶ月ほどは、記憶があやふやで部分的にしか思い出せない。この辺りの時の出来事と、しばらく休んだ後にもう一度仕事に取り掛かったときの出来事が混同してしまって、記憶がごちゃごちゃになっている・・・。

次の日は休みだったが、病院に行く日だったので無理して病院に行った。病院では、前のまだ良い方の先生の日だったので幾分安心した。そして、昨日仕事中に倒れたことを告げると、薬も変えてくれた。

その時はじめてうつ病の疑いをもってくれるようにはなっていたけど、まだ断定はされなかった。その日はその後ずっと家でおとなしく休んだ。



次の日、ゆっくり休んだのに、体調は全く回復しておらず、倒れた日と変わらないような体調だった。でも、1日休んだんやから、倒れた日よりは、若干マシな気がしたので仕事には向かった。

途中まで「これで辞められる」という感情がなくなっていたのだが、いつも通り仕事をこなしていくうちに、やはり調子が悪く、また倒れてもおかしくない状態だったので、その日は早退させてもらった。

その日、別の店舗の人から

「倒れるくらいなら、ゆっくり休む方がいいぞ」

とメールをもらった。

このメールをもらった時に、

「あ、これで辞められるかも・・・」

という思いが甦ってきた。



次の日もやはり、調子は悪いままだった。一応店を開けて、何とかやっていたけど、やはりダメだったのでこの日も早退した。次の日、また出勤しようと無理やり起き上がり、準備をしようとすると、いつも通り腹が痛くなってきたのでトイレに入った。

前々から、もう店に行くのがすごく苦になっていたけど、その日の体調も悪く、精神的にも行ける気が全くしなかったので、勇気を出して、休ませてもらうようメールを送った。

こういう場合、電話した方が良かったのかもしれないけど、向こうは寝ている可能性も高いし、当時の兄やんにとって電話をかけるというのは、かなりの重労働だったので、メールにした。

しばらくして大将から

「マシになったら徐々に出てくるようにしたらいい」

とメールが来た。

そのメールの確認後、すぐにメールを送り返し、また布団に入り、ぐったりしていた。もうひとつの店の人に休むことを連絡すると、

「それで良いと思う。ゆっくり休んで万全になってからまたやればいい。」

と励ましのメールが来た。

しかし、あまりにもしんどすぎて、何も考えられるような状況ではなく、布団の中でぐったりしているうちに、浅い眠りについた。

2005年02月12日

7.今までの人生で最悪の状態

それから2週間ほど店を休んだ・・・。

休み始めた頃は、一日の起きている時間のほとんどを、布団で横になってぐったりしていた。食事もほとんどできず、何もやる気が起こらず、TVを見るのもしんどい、といった状況で、本を読むことも、ネットにつなぐことも困難な、半寝たきり状態だった。

もちろん外に出ることもできず、ただただ布団の中で何もせずぐったりしていた。そして、体を休めようと眠ろうとするも、なかなか眠りにつくこともできず、眠りについたかと思えば、ものすごい悪夢にうなされ、30分も経たずに目を覚ましていた。

さらに、起きていてもひどい不安感や自殺願望、自分自身の存在の無意味さを感じていた。また、その頃には、何もかもがマイナスに捉えてしまうような状態で、自殺をするまでもなく、もうこのまま死んでしまうのではないだろうか?というくらいひどい状況で、本当にアブナイ精神状態だった。

そんな状態だったため、家族と会話をすることですらおっくうだった。



その最悪の状態の間も毎日、

「今日は体調が悪いので休みます」

といったメールを送り続けていた。

メールを送ることだけでも、ものすごいストレスで、当時の兄やんにとっては苦痛を伴うことだった。出勤する時間になる度に腹が痛くなってきて、ひどい不安に襲われていた。あれだけ(辞めてやる!)と思っていた頃から考えると、ひどい変わりようだった。

とはいっても、当時はそんな自分を振り返ることすらできないくらい、精神的にかなり弱っていた。最初の1週間くらいはそんな感じで、今考えるとよく死なずに乗り切れたなー、と思う。この間は、ほんのちょっと無理しよう、という意欲もなければ、無理なんかできるような状態でもなかった。



1週間ほど経ち、少しずつ家の中を歩けるようになり、外にも出れるようになった。外に出た、といっても家から数歩出るくらいで、まだ近所のスーパーに買い物ができるほどではなかった。

そして、2週間くらい経ったある日、この日も出勤近い時間にトイレの中からオーナーにメールを送ると、いつもとは違った無愛想なメールが返ってきた。

これは完全に怒っている。

そう思った兄やんは、急に落ち着かなくなった。そして、その日一応休んで、次の日にはまだ全然良くなっていないのにも関わらず、無理をおして店に出ることにした。そして、

「今日はちょっと頑張ってみます」

といったメールを送ったのにも関わらず、また無愛想なメールが返ってきた。

そのメールを見て、怒っていることを確信したが、何んで怒っているのかも分からなかったため、さらにストレスにさらされながら、オーナーが来るまでとにかく必死で頑張った。約2週間のブランクがあったため、手際良くこなすことはできなかったが、何とかクレームをつけられない程度にやってのけた。

常連の中には、兄やんが休んでいることを知っている人もいて、気遣ってくれる人もいた。激励してくる人もいたけど、うつ病の人間にとっては、それが非常に重たく感じ、苦しかった。それに、激励されてももう戻ってこれるような自信も気持ちもなかったので、正直それも大きなストレスになった。

兄やん自身も自分のことを話さないから悪いのかもしれないけど、当時の兄やんには、

「誰も兄やんの気持ちを理解してくれない」

という考えに陥っていて、仕事中、客がいるのにも関わらず、ひどい孤独感にも襲われた。

そしてしばらくすると、ギブアップ直前の兄やんの前にオーナーが店にやってきた。

2005年02月11日

8.余力と新たな想い

兄やんの感じた通り、オーナーはあんまり機嫌が良くなかった。風邪をひいたのか、体調を崩していたようだった。

機嫌が悪かったのは、体調を崩していた、ということもあったようだが、やはり他に理由があった。しばらくいろいろ話をしていたが、兄やんの連絡が直前過ぎるために、オーナーの予定も狂う、ということだった。

確かに言われてみればその通りだ。





でも、兄やんにも言い分はある。ギリギリまで、休むということを伝えるために、何てメールを送ろうか、必死で考えていた(それがすごいストレスでもあった)ために、当時の兄やんには、相手の予定がどうこうなどと考える余裕すらなかった。

しかし、オーナーの言うことももっともだったので、伝えることができない自分の考えと、オーナーの考えとの間で、どうしたらいいのか分からなくなり(当時はそういう部分も鈍っていた)、脳内がパニック状態になってしまった。

そして、交代して帰ろうとすると、オーナーが、

「食ってけよ」

とまかないを作ってくれた。

(ここら辺の記憶が、倒れた日やその直後なのか?あやふやになっていたりします)

おそらくオーナーも、兄やんに早く良くなって戻ってきて欲しい、と思って、オーナーも体調が悪いので休みたい中出してくれたので、全く食欲はなかったが、ご馳走になった。食べ始めたくらいに、もう1杯分作り始めながら、もう1杯食べるように促してきた。

以前なら8倍くらい食っていた兄やんだが、その時は、1杯食べるのが精一杯だった。

おそらくオーナーなりの気遣いでそうしてくれていたのだろうけど、当時の兄やんには、無理やり食べさせられてる感じの方が強く感じた。そして、何とか3杯目は阻止して、無理やり2杯目を口の中に入れ、その日はそのままゆっくりと家に帰った。



次の日、目を覚ますと(途中何度か起きていてもちろん熟睡はしていない)、もう出勤する時間になっていた。休みたい気持ちが強かったが、前の日に直前に連絡することについて注意されていたので、その日はもう店に出るしかなかった。

また、いろんな意味でギリギリの中準備をし、腹が痛いのを下痢止めを飲んでとめ、栄養ドリンクを2本買って店に向かった。その日は着いてすぐに2本飲み、最初からとばしていった。その日はもう倒れた日以上の気合を使いきっていたので、今でもその日のことはあんまり覚えていない。

ただ、オーナーが来る直前に常連さんが来た辺りからは覚えている。そして、また帰ろうとすると、前の日のようにまかないを出してきた。死に物狂いで、何とか2杯目を食べ終わり、常連さんたちからもゲキを飛ばしてもらって、いざ帰ろうと上着を着た時に、オーナーが注文を間違えて違うものを作ってしまった。

そのミスを兄やんのせいにした(冗談っぽく言ってたが、当時の兄やんにとっては、「冗談じゃない」感じだった)後、その常連さんはそれでもいいよ、と言っているのにも関わらず、オーナーは限界の兄やんに間違って作ったものを食べさせた。

客の手前、吐き出すわけにもいかないので、何度もソレを我慢しながらなんとか食べきった。この時に、辞めるということに対して何か突っかかっていたものが取れた気がした。

少なくとも、調子が悪いことを告げていても、こうやって無理を強いられる以上、もうここにいる理由はないし、このまま居続けたら取り返しのつかないことになる。そう確信した兄やんは、力なく店を後にし、ゆっくりと家に帰った。

2005年02月10日

9.また、悪くなる

「また、体調が悪くなったので、しばらく休みます」

次の日、幾分か吹っ切れていたため、今までメールを送っていたときよりかは、幾分か気がラクだった。そして、もうひとつの店の人にも同じようにメールを送った。





しばらくして2人からメールが帰ってきた。オーナーからは、

「わかった、しっかりと治しなさい」

といった内容だった。

もうひとつの店の人は、

「1ヶ月くらいかけてゆっくり治せばいいよ」

と言ってくれたけど、その時にはもう戻ってまた働く気はなかったので、そういった気遣いに応えることができないことを考えれば、少し胸が痛んだ。

いくらか気がラクになったものの、また倒れてスグの時のような体調で、2、3日は家にずっといた。ある程度良くなってから辞めることを伝えようと思い、それからまた2、3日おとなしく家にいた。

その間、メールも送らなかったので、前よりかは、マシになりかけてきた。少し余裕ができたので、久々にパソコンを開いて、今の症状はどういう状態なのか調べ始めた。

そんな矢先に、オーナーからメールが来た。

「そんなに体調がずっと悪いのは、普通とは違うぞ!治す気があるなら病院に行って精密検査を受けて来い!」

といった内容だった。



前々からうつ病と診断されたことを、それとなく伝えようとすると、何とも言えん雰囲気で、認めないような態度で、それを強く通せるような空気でもなかったので、兄やんもやせ我慢して、

「うつ病て言われたけど、兄やんにカギってそんなことないと思うんですけどね〜」

と無理をしていた。

すると、それを間に受けたのか、はたまたうつ病など認めないのか「そらそうだ」といった態度だった。

だから、まずうつ病だから・・・、という説明をする選択肢がなかった。倒れてから精神科に一度行って以来、精神科にも行くことが出来ない状態だったので、家で安静にしていた。ようやく良くなってきた、そんな矢先にそんなメールが来たもんだから、また状態が悪化してきた。

まともにメールを続けていると、余計に悪くなりそうだったので、

「すいません。精密検査をするところを探して行きます」

とだけメールを送った。

そして、良くなりかけていた体調が、また少し悪くなりながらも、急いで精密検査が出来るところを探し始めた。しかし、メールでのストレスと焦り、検査の費用などが高い(保険が適用されない)などといった理由が募り、頭の中がパニック状態になって、さらに症状が悪化してしまった。

それでも、ちゃんと調べていつ行くかとかも決めなくては、またメールが来て何か言われてしまうと思ったので、友達とかにもメールで聞いたりしながら、2〜3日かけて何とか総合検診センターを見つけ当てた。

そして、ネット上で予約のフォームを送ったところ、「現在送信できません」といったような表示が出てしまい、結局電話で予約をしなくてはならなくなってしまった。

2005年02月09日

10.検査を受ける

普通の状態で考えれば、

「じゃあ電話すればいいやん」

と思うかもしれないが、前にもチラっと書いたように、当時の兄やんには、電話をかけて話をすることがものすごい苦痛だった。

つい最近までも、電話をする、と決めてから1時間くらいオロオロしているくらい電話が怖くなっていた。
そして、やっとこさの思いで電話をかけると、留守電だったので、また週明けに電話をすることになり、その旨をオーナーにメールで伝えた。





そして週明けにかなり苦労しながらも予約を取った。MRIなどの精密検査を含めて、検査費用は、78,000円もかかるとのことだった。当時の一か月の給料は10万〜11万(保険や税金はこの中から払わなくてはならなかった)で、その時にもっていた全財産は100,000円もなかった。

そして、検査の日まで安静にし、検査の日の朝を迎えた。久々に外に出たかと思うと、満員電車にしばらく揺られ、検診センターの最寄り駅に着いた。しかし、着いた時には、疲れ果ててしまっていた。

そして、検診センターに向かおうと思ったのだが、頭がボーっとしていたせいか、道が分からなくなってしまった。一応早めに家を出たのだが、駅から反対側をしばらく探していたので、見つかるハズもなかった。

地図も見つからず、当然人に聞けるような精神状態でもなく、(遅刻してしまう)と焦り始めてきた。

そして、ようやく反対側に行き、検診センターを見つけ、中に入っていった。もちろん、初めて行く場所で入り口がくもりガラスだったので、本当にここで合っているのか、不安になりしばらく入り口付近でウロウロしていた。

しかし、早くしないと遅刻してしまいそうだったので、思い切って中に入ってみた。すると、係りの人が来てくれて、受付まで案内してくれた。少し安心しながら受付を済ませ、検査用の服に着替え、順番を待った。

本来ここに来る人たちはみんな、会社の健康診断とかで来ているような人たちばかりで、個人で来るという人は非常に珍しいケースだったようだ。そして、

「保険は適用されませんがよろしいですか?」

と聞かれ、

「・・・はい」

と答えるも、(もしかして当初より高くなったりするのでは?)という不安にかられた。

そして、血液検査、問診、頭部MRI、視覚、聴覚、肺活量、心電図、腹部超音波など、また、バリウムを飲んだりして、朝から昼過ぎまで検査は続いた。超音波や心電図、MRI、バリウムなど、初めて受けるような検査も結構あったけど、とりあえず検査自体はスムーズに終わった。

検査費用の支払いの際、足りるんだろうか?という不安に襲われながらも、当初書かれていた通りの検査費用78000円を支払い、ホっとしながら検診センターを後にした。帰りしなに、オーナーにメールを送り、検査が終わったことを告げた。



検査結果が出るまで数日間、家でおとなしく過ごしていた。そして、数日が経ち、検査結果を聞きにいく日を迎えた。

2005年02月08日

11.検査結果が・・・

再検査は昼過ぎにあったため、ちょっと気がラクだった。この日までの間安静に休んだせいか、いくらか元気になっていた。そして、検査結果が伝えられた。

肝機能と脂質代謝、血液に若干異常があったが、それはさほど深刻なことではなかった。その後に、腹部超音波の結果、「膵管拡張」が認められた。後でネットで調べて分かったのだが、膵管拡張とは、膵炎や、膵臓癌などに見られる症状でもあり、非常に危険な状態の可能性もあった。



その検診センターの医師は、とりあえず、お酒はやめなさい、と言ってきた。ただ、もう2ヶ月ほど酒は飲んでいなかったので、(酒は関係ないハズ。他にも理由があるのではないか?)と不安になった。

そして、血液検査と尿検査用に、血液と尿を採取し、次回、MRCP検査をするため、次に来るときは、再検査にくる前には絶飲食とのことだった。しかし、このときはまだ膵管拡張がそういう可能性があることを知らなかったので、検査結果を知り合いの薬剤師の先生などに話したりした。



そして、店を辞めることを伝えるついでに検査結果を知らせようと、店に向かった。しかし、店の前まで行ったのはいいものの、

「何て切り出せばいいか?また何か言われるんじゃないか?」

などいろいろ考えてしまって、1時間くらい悩んで店のまわりをぐるぐる回っていた。しかし、もう行くことを先に伝えていたので、客がひけたタイミングを見計らって、勇気を出し、店の中に入った。

店の中には、幾分疲れた感じのオーナーがいた。しかし、それを誤魔化すかのように明るく話しかけてきた。辞めることを伝えるために来たのだが、それを察知して無理して明るくしているのか、とても辞めることを言いだせるような雰囲気ではなかった。

とりあえず、検査結果の書いた冊子を渡し、様子を見ることにした。オーナーが検査結果を見ている間に、店の中で変わったところを見つけた。兄やんが病気で休んでいるため、営業時間が遅れていることを知らせる張り紙のようなものもあった。

オーナーは、その張り紙を見ている兄やんに気付いたのか、その紙についていろいろ話しかけてきた。そして、検査結果を見て、

「まあ、分からんけど大丈夫や」

といい、早く復帰できるように促してきた。

(分からんけど大丈夫て、どういうことやねん)

と思いながらも、精神的に弱っていた当時の兄やんには、そこで辞めることを伝えることはできなかった。

とりあえず再検査を受けて、それの結果待ちということで、その日は帰ることにした。しかし、辞めることが伝えられず、そのままわだかまりを残すこととなってしまった。

そして、再検査まで「膵管拡張」について、ネットで調べ始めたのだが・・・。

2005年02月07日

12.再検査の結果

次の日、相も変わらず悪夢からの目覚めで、徐々に気分を落ち着かせながら、「膵管拡張」について調べ始めた。すると、急性膵炎や慢性膵炎の可能性が高いということが分かり、さらには、そのとなりに「膵臓癌」の文字があった。





冷静に考えると、この時点での膵臓癌の可能性は極めて低いのだが、当時の体調や、マイナスな思考などでは、もしかしたら・・・という不安にかられ、再検査の日まで、気が気でなかった。そのストレスからか、また体調も悪くなり、情緒不安定な日々が続いた。

通常の精神状態の兄やんであれば、癌だろうがどんな病気だろうが、自分の気次第で治して見せる!と思うようなタイプなのだが、うつ病になってしまっているため、そんな余裕は一切なかった。

さらに追い討ちをかけるに、次に再検査をする用の費用(金)が無くなってしまった。金がなければ検査も、それに見合った医療も受けられないということに気づき、自分の無力さに打ちひしがれていた。

とは言っても、(このまま放っておけば、重病に苦しみながら死んでいくかもしれない・・・)と思い、もういっそそのまま死んでやろう、とも思った。(そうすれば、オーナーもことの重大さに気付くだろう)と考えていた。

しかし、気分が落ち着き、冷静に考えられるようになって、(やっぱりこのまま死ぬのはまっぴらごめんだ)と思い、恥を偲んで人生初の借金することになった。

金を借りたものの、しばらくは金を借りた自分自身が情けなく感じ、かつ、今回の件に関して、金銭的な負担を全くしてくれないオーナーに対して腹がたったりもした。

そして、ようやく再検査の日になり、MRCPという検査を受けた。ちなみにMRCPは、コーラのような色の液体を飲んでから、MRI検査の機械に入り、内臓部分をその液体を目印に映し出すもののようだ。

そして、MRCPの検査結果を待った。しばらく待たされた後、検査結果を聞かされた。結果は、もう膵管は正常に保たれていて、大丈夫です、とのことだった。とはいえ、体調が回復したわけではなかったので、そのことを尋ねると、様子をみて、また後日来て下さい、とのことだった。

借金をしていたので、もちろん返済をしなくてはならないので、働かなくてはいけなかったのだが、対人恐怖症に近い状態だったため、とても接客を出来るような心理状態でもなく、もちろん肉体労働が出来るわけでもなく、働ける条件がどんどん減っていった。

本やネット上で、ネットトレードや、インターネットビジネスというものがあることを発見はしたのだが、当時はそんな新しいことをしようとする気力なんかは微塵もなかった。

そして、また、検診センターに行き、その後の経過を伝えた。

2005年02月06日

13.再び精神科へ・・・

センターの医師は、

「んー、特に体には異常は見られないですからね〜。ストレスとかからくるものじゃないでしょうか。」

と言ってきた。

(確かにその通りだ)

と思いながらも、金がないことなどもあって、しばらく行ってなかった精神科にいくべきかな?と思ったりしていた。そして、帰りの電車の中で、

(ストレスの原因はハッキリしている。借金までしているのだから、キッパリと辞めることを伝えなくてはいけない。)

と思っていた。



そして、その日の晩、辞める意思を伝えるべく、店に足を運んだ。しかし、店の近くに行くと、急に中に入るのが億劫になり、また一時間ほど店の周りを行ったり来たりしていた。

しかも、その頃には

「店にはオーナーじゃなくて、別知らんの人がおったで」

ということなどもいろんな人から耳にしていたので、余計に入りにくかった。

ただ、オーナーの車があったので、オーナーが中にいることは分かっていたが、なかなか店の中に入ることはできなかった。店のすぐ前とか、オーナーの車の横までは近づいたけど、それ以上中に入ることができずに、怖気づいて結局そのまま帰ることにした。



次の日、約1月振りに精神科に行くことにした。

しばらく行ってなかったので、何か言われるんじゃないか?と不安に思っていたけど、特に何もなく、ゆっくり治していきましょう、ということになった。すぐに治らないことは分かったいたが、特に病院で何か治療的なことをするというわけでもなかったので、少し不安にも思った。

ただ、その時は、「店を辞める」ということを強く思っていたので、そんなに気にすることはなかった。オーナーにどうやって辞意を伝えればいいか、かなり悩んだ。

できれば、オーナーの方から辞めることを勧めてくれれば、と思いながらいろいろと考えていたけど、当時の自分の状況をよくよく考えると、うまく意思表示出来ないだろう、と思い、失礼を承知で、メールで辞めることを伝えることにした。

メールを送ってその日のうちには、返事が帰ってこなかったので、その日はそのまま寝ることにした。

いや、返事を見るのが恐かっただけなのかもしれない。

そして目が覚めた時にケータイを見ると、オーナーからメールが届いていた。

2005年02月05日

14.オーナーからのメール

ケータイのメールを打つことや見ることすらおっくうになっている中で、オーナーからのメールを見るのは、勇気が要った。何度か気分を落ち着かせた後に、恐る恐るメールを見ると、長々とメールが入っていた。

「辞めたからって治るんか?」

これだけ我慢してきたし、普段泣き言を言わない兄やんが辞める、と言っているのだから、黙って認めてくれるのではないかな?と少しだけ思っていたが、「はぁ・・・」と思うような内容だった。

医者からは、まず治すためには今働いている店をやめるべき、ということを言われていたが、言い返したところで納得してくれるとはとうてい思えない。



兄やんがオーナーに送ったメールは、

カラダ(書かなかったが心身ともに)を治して、新しいことを始めたいので辞めようと思います。

といった内容のことを送った。

そして帰ってきたのが、さっきの言葉。さらにメールは続いていた。

忘れた部分もあるけど、書く必要はないと思う。とにかくひたすら批判的な内容だった。

批判的な文面をただただ延々と送りつけてきた。最初は、批判的な文字を見るたびに耐えられなくなって、メールを閉じて、しばらくしてからまた読む、というように、何度かに分けて読んでいた。

それだけでその日のストレスはかなり長時間に渡って続いていた。

最初はそうやって読むたびに落ち込んでいたけど、だんだんと人の苦しみを理解しようとしない自分勝手なオーナーに腹が立ってきた。

何年か振りにキレた兄やんは、一言、

「そこまで言われたら何も言うことはありません」

とだけメールを送り、大将をケータイのリストから削除した。

2005年02月04日

15.快方へ向かう毎日

それから、大将からメールが届くことはなかった。今ももちろんない。
それはもう、完全な決別宣言ということになった。

もうひとつの店の人からは、「まあ、仕方ないんちゃうか?」と、特に何も言われなかった。

兄やんは、元々その店の常連で、話しているうちにオーナーに気に入られ、

「新しい店を出すから店長として働いてみないか?」

という誘いを受けて働くことになった。

「もうあのメールのおかげで、もうここの店にくることはできへんなー」

と若干残念に思ったが、ソレを捨てでもとにかく離れたかった。



そのメールを送ってからは、少しずつ症状が快方へと向かっていった。もちろん調子の良い日と悪い日の波はあったものものの、少しずつ、少しずつ確実に良くなっていった。

とはいっても、まだまだ普通の最低限の生活ができるようになったくらいだったが、無常にもうつ病について理解のない家族は、「働け」と言い始めた。借金もしていたので、そう考えるのも理解できたが、

(自分の家族がうつ病になって苦しんでいるというのに、うつ病についてなんで勉強しないんだ?)

という思いもあったが、それについて意見するだけの気力もなかった。順調に良くなり始めた矢先、そんなことを言われたものだから、また少し気分がふさぎこんでしまった。



しかし、親の言うことも分からないでもない。自分の中でも、いつまでもこうやって親元で暮らしている場合ではない、という気持ちは、うつ病になる前からあった。

ただ、当時の兄やんは、まだ通常の精神状態ではなかったため、軽くパニックに近い状態になり、不安定な日々を過ごすことになった。

しばらくして、おかんの妹のだんなにあたる、兄やんにとって叔父の会社からパソコン関連の仕事をぜひやって欲しい、という電話があった。

どうやら叔父が、兄やんの以前作っていたサイトを見たようだった。当時は、そんなサイトの存在も忘れるくらいまいっていたため、褒められてもなんとも思わなかった(実際大したサイトでもなかった)。

乗り気ではなかったが、外に出て行ったことない場所にいくのも、リハビリの一種だと思い、とりあえず話だけでも・・・、と思い聞きに行った。話した結果、仕事内容も思ったほど難しいものでもなく、自分の来たいときにきてやってくれればいい、というものだったので、断る理由もなく、やることとなった。

2005年02月03日

16.日常生活にどんどん近づく

バイトを始めた当初は、行ったり行かなかったり、という日が続いたが、1〜2ヶ月すると、叔父叔母のフォローや気遣いもあったおかげや、慣れもあってか、週4〜5日くらいはいけるほどになっていた。とはいっても1日4〜5時間しか働いてないが。

調子が良くなってきた時はたまに、休みの日に出かけたりできるくらいに回復し始めていた。ただ、やはりまだ大きな波があり、どうしようもない日もあったりした。

ただ、その間にも、いろいろ本を読んだり、ネット上で調べたり、精神科でいろいろ話をしてきたいた分、自分が今治療中のどの位置にいるかを把握することができた。



これが比較的早く治った理由なのかもしれない。

調子の悪い日は、気分も湿りがちで、何にもやる気がしない、しんどい日が続くので、そういう日はさっさと寝るようにして、少しでも心と体を休ませるようにした。そして、調子の良い日はどんどんいろんなことをして、以前の自分を取り戻すようにし、動いた日は調子が良くても無理をせず、ゆっくり休むようにした。

今まで無理してきた分、自分を精一杯甘やかすようにした、という方が適切かもしれない。

聞いた話では、しっかり治さないうちに、また以前のような毎日を一生懸命過ぎるくらいに生活してしまうと、うつ病が慢性化してしまい、取り返しのつかないことにだってなり得る、という。

ただ、うつ病はちゃんと治る、というのも聞いていたので、

「絶対にちゃんと治してやる!」

という強い意志だけは芽生えてきていた。

その頃から、ようやくどん底期間中にした借金も返済し、お金についてやこれからの仕事について、自分なりに考えたり、本やネットでいろいろと勉強し始めるようにもなった。



おそらく、このことがうつ病回復に向けてのきっかけだったように思う。うつ病が回復してきたことを計る指針のひとつに、趣味や何か打ち込むことが見つかる、ということが挙げられていて、当時の兄やんにとって、実際自分が苦しんだお金について勉強することは、非常に有意義なものだった。

とはいっても、常に同じ気持ちで取り組めるわけではなく、やる気のあるときだけやる、といった感じだったが、そういった行動もあってか、次第に症状も良くなってきた。

本来の自分を取り戻しつつある兄やんを見た医者も、

「(病院に)来た当時は、兄やんの言うようにうつ病だったみたいだね。」

と、とうとう兄やんがうつ病だったことを認めた。

しかし、その当時の兄やんにとっては、そんなことはもうどうでも良かった。毎日ではないにしても、どん底の状態の日が減っていき、どん底の状態も押し上げられてきていたのと、自分をいたわりながら生活をしてきたので、また頑張って症状を悪化させる、ということも経験せずに済んだ。



日に日に精神科でもらう薬も減っていき、店で倒れて半年以上たってみると、月に1度ペースで通うくらいまで症状もなくなってきていた。その頃には、インターネットビジネスというものにも興味を持ち始め、小さな失敗や勉強、研究を重ねるくらいにまでなっていた。

(この頃、なべさんに出会い、特進の加藤さんを紹介してもらったりしながら、さらにネットビジネスへの興味を強く持つようになりました。)

そして、もう放っておいても大丈夫だろう、と思っていたのですが、ある程度以上症状が良くならないことに不安を覚え始めるようになり、また少し調子が逆流してきたのだった。

2005年02月02日

17.カウンセリングを受ける

そんなこんなで、またいろいろと調べたる考察しているうちに、精神科での治療はあくまで対症療法的なものに過ぎず、根本治療にはならない、ということを知った。さらに調べているうちに、根本治療にはカウンセリングが一番良いということを知り、カウンセリングについて今度は調べ始めた。

とはいっても、精神科同様、元来兄やんはカウンセリングとは胡散臭いものだと思っていた節があるので、多少なりとも不安感というか、カウンセリングそのものに対して、猜疑心があった。

一応補足しておくと、精神科とは症状を緩和したり、自然治癒力による回復を期待するもので、カウンセリングは、うつになった根本の原因から解決することで、根本解決するもの。

この根本の原因を解決しない限り、すでにうつ病を発症した人の場合、よほどいい環境でなければまたうつ病を発症する可能性が非常に高くなる。

なので、兄やんとしてはうつ病を治療する際は、カウンセリングを受けるだけの状態になるまで精神科で薬をもらい、大丈夫になってくれば、カウンセリングを受ける、というものがいいと今も思っている。

結果的に兄やんの場合、それで良くなっているし、ちゃんとしたカウンセラーに当たれば、確実にその方が快方に向かうと思う。



今でこそここまでカウンセリングというものに信頼をおいている兄やんだが、当時はまだ半信半疑だった。
何度も何度もカウンセリングを受けられる場所をチェックし、カウンセラーについてもかなり調べた。

この間、かなりいろいろと時間を割いて調べた結果、カウンセリングサービスというサイトを発見し、ここを利用することに至った。

最初、12月くらいに予約を入れたのだが、カウンセラーがたまたまなんかの病気になったらしく、急遽キャンセルになったため、1月にカウンセリングを受けることになった。

もちろん、12月の時も1月の時も電話をするときはやはり緊張して、かけるまでに相当な時間を費やしたが、なんとか勇気を振り絞って電話をかけて予約をとることができた。

そして、人生初のカウンセリングを受けるために、その場所まで行き、近くまで来たものの、緊張のためなかなか中に入れず、時間ギリギリまで回りをウロウロして、ようやく中に入れた。



中に入ると、カウンセラーの方が部屋に通してくれて、飲み物を出してくれた。そして、終始リラックスした状態でいろいろな話をし、いろんなことを気づかせてもらい、2時間のハズが、気がついたら3時間近くたってしまっていた。

そして、非常に晴れやかな気持ちで、家に帰っていった。帰りの電車の中、カウンセラーに言われた言葉とかを思い出しながら、じっくりと自分の中で整理していた。しかし、興奮からかなかなかうなく整理ができないで、家についてしまった。

それくらい充実した時間を過ごさせてもらい、根本原因がハッキリしたため、後は自分の中で少しずつ変えていくだけだった。さらに、心の中のひっかかりなどもなくなり、その後の回復は著しかった。

「何でもっと早くこなかったんやろう?」

そう思うくらいカウンセリングというものがすごいものなんだと実感した。




<END>

2005年02月01日

18.最後に・・・

どうも、兄やんのうつ病闘病記を最後までご覧頂いてありがとうございました。

カウンセリングを受けてからというもの、病院にも通わなくなり、普通の生活を取り戻すことができました。調子の悪い時は誰にもあることで、そういう時にはすぐに察知できるようになったので、無理をしないで自分の心も体をいたわれる毎日を送っています。

結果的には、うつ病になったおかげで、ネットビジネスにおいても人間関係においても、治ってからはすごくプラスに作用しているように思います。兄やん自身としても、うつ病になる前とその後とでは、うつ病を経験した今の方が、自分で言うのも何やけど、人間的に魅力が増えたように思います。

もちろん、今のままで満足しているわけではないけど、納得はしていられるだけの自分を手に入れることができました。さらに、今こうやって自身の経験をこうやってブログを通して不特定多数の人に伝えることができているのは、非常にありがたいことだと思います。



そもそも、この兄やんの経験を公開することは、最初、非常にためらいもありました。というのも、日本の中では、まだまだうつ病というものに対する理解が少なく、

「兄やんがうつ病だった」

ということを伝えることによって、敬遠されるかもしれない、ということを恐れたからでもあります。

他にも、このことを書くことによって、確実に働いていた店に行くことも、オーナーに会うことも困難になる、という考えもあったので、迷った部分もありました。

しかし、うつ病になる前の兄やんがそうだったように、現在のうつ病に対する理解の少ない日本の社会の中で、少しでもうつ病に対する理解を浸透させることができるのなら、これくらいのことは目をつむろう、と思ったので、公開するに至りました。



ちなみに、兄やんの働いていた店や、店のお客さんに対して誤解してもらいたくないのが、これを書くということは、店に対しての報復や嫌がらせといった意味で書いたのではない、ということだけはご理解いただきたいと思います。

ある程度詳しく書かないと、小説とかでもそうですが、読んでいる側の想像ができないため、思い出せる範囲で、当時の感情も交えて書いているだけです。兄やんにとって、うつ病を発症したきっかけが、残念ながら自分が好きで働き始めた店になりましたが、根本原因は別の場所にあります。

これも、うつ病に対する深い知識があれば理解してもらえると思いますが、念のためこの場で弁明させてもらいました。ということで、これから当ブログ、うつのひかりでは、兄やん自身のうつ病の経験から、うつ病に対する理解を深めてもらうための情報を提供していこうと思います。

現在もうつ病に苦しんでいる方、うつ病から復帰しつつある方、自分はうつ病かもしれないと思っている方、家族や友人がうつ病で苦しんでいるという方、今のところうつ病とは関係ないけど知っておこうと思う方、自分はうつ病なんか認めないが読んでやるという方、どんな方でも構いません。

とにかく、このブログにあるうつ病に関する情報を欲している人に満足&プラスの効果をもたらせるような内容を作っていければ、と思っています。



ただ、兄やんは残念ながらカウンセラーでもなければ、医者でもないため、うつ病の人を治してあげる力はありません。ですが、実社会では、カウンセリングや精神科や心療内科での治療を行っていても、社会がうつ病を認めないために、症状が改善されないケースがよくあります。

兄やんができることは、うつ病を少しでも社会的に認知させることと、うつ病で苦しんでいる人と同じ(まったく同じは無理にしても、かなり近い位置での)目線でものを見て、それを伝えることだと思っています。

兄やんが以前、政治家になりたいと思ったのも、自分にそれだけを動かす力があれば、簡単にうつ病などの心の病について、日本の社会全体が理解を示してくれるようになるんではないか?と思ったからです。

しかし、実際問題それはひどく遠回りなことですし、今の日本では、兄やんのようなタイプの人間は消される可能性も高い、ということで今兄やんがするべきことは、こうやってうつ病について伝えていくことだろう、そう思い政治に関するブログをやめるようになりました。

ただ、同じような視点で、うつ病や自殺、心の問題などに関連する出来事については、あのブログの用に、時々でも書いて行こうと思っています。ただ、兄やん自身は経済の仕組みなどを知ってしまったため、この手のことを書くときには、両方の観点から見ての意見になることがあるので、読んでいる人のとっては、不快な思いをされる場合もあるかもしれません。

ただそれは、兄やんが正しいと思って書いているだけで、自分が間違っていると思えば、その間違いを認め、考え方を改めていく姿勢でいます。反論してもらっても必ずしも考え方が変わるわけではありませんが、そのことでお互いが、こういう考え方を持つ人もいる、という認識を持って、それを生活に活かせるようになればいいと思っています。

近いうちかどうか分かりませんが、そのうち、うつ病に関する本を出版しようと考えています。

もちろん、兄やんのこのうつ病闘病記などの経験を活かして書いていくつもりではありますが、同じうつ病でも人によって違う感じ方や症状があると思いますので、兄やんとは違う経験などをお持ちの方がいれば、ぜひ意見を伺いたいと思います。

もちろん、無理強いをするつもりはありません。
気の向いた時で構わないので、コメント欄から書いていただけるとありがたく思います。

注) うつ病や心の病に対して批判的な人には、兄やんは牙を剥きます